1耐えがたい苦痛について,肉体的苦痛のほか,不安・抑うつ,2各 論Ⅶ 章2 各 論125 鎮静により生命予後が短縮されるとするならば,(刑)法学上は間接的安楽死に分類されるが,間接的安楽死は法的に正当化可能であるとするのが通説的な理解である。間接的安楽死が正当化されるためには,患者が耐えがたい肉体的苦痛にさいなまれていることが必要であると考えられている(肉体的苦痛を対象とした間接的安楽死については正当化できる)。他方で,精神的苦痛に対する間接的安楽死が正当化されるかについては,否定的な見解が多い。 以下,法学が肉体的苦痛と精神的苦痛をどのように捉えているかを理解する助けとするために,判例実務を参照する(間接的安楽死のみを扱った裁判例は非常に少ないため,積極的安楽死に関する裁判例を含めて取り上げる[注1])。 例えば,東京地裁昭和25年4月14日判決1)は,積極的安楽死について,「精神的苦悩はそれがいかに激烈であつても疾病による肉体的苦痛が激烈でない以上,精神的苦悩を取り除くため死を惹起する行為があつても,これを正当行為とすることができない」と述べている。 また,横浜地裁平成7年3月28日判決2)(いわゆる東海大学安楽死事件判決)は,間接的安楽死も含めた安楽死一般の許容要件として,耐えがたい激しい肉体的苦痛の存在を挙げている。同判決は,精神的苦痛をも考慮すべきであるとの弁護人の主張に対して,「末期患者には症状としての肉体的苦痛以外に,不安,恐怖,絶望感等による精神的苦痛が存在し,この二つの苦痛は互いに関連し影響し合うということがいわれ,精神的苦痛が末期患者にとって大きな負担となり,それが高まって死を願望することもあり得ることは否定できない」としながらも,「苦痛については客観的な判定,評価は難しいといわれるが,精神的苦痛はなお一層,その有無,程度の評価が一方的な主観的訴えに頼らざるを得ず,客観的な症状として現れる肉体的苦痛に比して,生命の短縮の可否を考える前提とするのは,自殺の容認へとつながり,生命軽視の危険な坂道へと発展しかねないので,現段階では安楽死の対象からは除かれるべきである」と述べて,これを退けている。 以上より,名古屋高裁昭和37年12月22日判決3)のように,積極的安楽死の正当化要件として「病者の苦痛が甚だし」いことを挙げて,苦痛を身体的なものに限定していないかのようにみえるものもあるものの,判例実務では精神的苦痛を理由とする安楽死は許容されないとの立場をとっていることがわかる。 学説においても,安楽死の正当化要件としての苦痛を肉体的なものに限定すべきであるとの見解が圧倒的であるが,その理由としては,①精神的苦痛の有無や程度の評価は患者の主観的な訴えに頼らざるを得ず,判断が難しいこと,②要件に精神的苦痛を含めると,末期状態という時期的な限定が緩やかになり,死の選択へと傾くおそれが大きくなるこ心理・実存的苦痛などの精神的苦痛を含むのか
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