Ⅶ章 法的検討126と,③精神的苦痛に悩む患者の自己決定は不安定であり,家族関係その他の事情によって影響を受けやすいこと,④精神的苦痛は治療によって取り除かれるべきであること,などが挙げられている4,5)。これらに対して,精神的苦痛が治療を受けてもなお耐えられないものであるならば,精神的苦痛を肉体的苦痛と同等に位置づける必要があるのではないかとの主張や,肉体的苦痛と精神的苦痛とはしばしば同時的であり関連しているのであるから,死に直面した者の苦悩をも考慮すべきである旨の指摘もある6,7)。しかし,このような見解はごく一部にとどまっており,精神的苦痛を安楽死の(少なくとも単独の)要件とすることは認められていない。 以上をまとめると,①法学では肉体的苦痛と精神的苦痛を区別して捉えている,②肉体的苦痛を対象とした間接的安楽死については正当化できるとされている,③精神的苦痛を対象とした積極的安楽死および間接的安楽死は許容されないとされているが,その根拠づけについてはほとんど議論がない,といえる。 また,鎮静に関連する臨床家の疑問点に関する詳細な議論もほとんどみられない。例えば,患者の肉体的苦痛が耐えがたいとまではいえない場合に精神的苦痛を理由とした間接的安楽死が正当化されうるか,精神的苦痛の内容が抑うつや不安のような精神症状の場合と,生きていることに意味がない(いわゆるスピリチュアルペイン)と感じる場合とでは異なるのかに関する議論はほとんどなされていない。 以上の理解と専門家の議論から,本手引きでは,苦痛緩和のための鎮静が生命予後を縮めることが想定される場合(間接的安楽死とみなされる場合)[注2]には,苦痛の対象は,耐えがたい肉体的苦痛に限ることが望ましいと考える。精神的苦痛が耐えがたく,他に緩和する手段がない場合には,最も生命予後への影響が少ない鎮静手段(間欠的鎮静の反復や調節型鎮静)がより妥当である。[注]【文 献】 1) 東京地裁昭和25年4月14日判決・裁判所時報58号4頁 2) 横浜地裁平成7年3月28日判決・判例時報1530号28頁 3) 名古屋高裁昭和37年12月22日判決・高等裁判所刑事判例集15巻9号674頁 4) 甲斐克則.安楽死と刑法,東京,成文堂,2003:166頁 5) 中山研一.安楽死と尊厳死,東京,成文堂,2000:206頁 6) 神山敏雄.臨死介助をめぐる刑法上の諸問題,東京,成文堂,2019:49頁 7) 小野清一郎.安楽死に関する判例評釈.判例タイムズ1950;5号:11頁 1) 法学では,間接的安楽死の法的正当性を議論する枠組みと,積極的安楽死の法的正当 2) 一部の持続的深い鎮静を念頭に置いている(患者の状態によっては持続的深い鎮静においても生命予後に影響しないとエビデンスに基づいて主張することも可能である)。調節型鎮静や間欠的鎮静は生命予後に影響しないという認識があると考える。性を議論する枠組みは同じである。
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