私たち人類は,この地球上の陸地の広範囲に分布し,特に私たちが日常暮らしている文明社会においては,他の生物種を差し置いて栄華を極めている。人類の誕生からこれまでの長い営みの中で科学を発展させ,疾患を克服し,種の存続を遂げてきた。しかしそれでもなお,我々は自然の中の一員であり続ける。医学の発展は,自然淘汰に抗うものであると同時に,それをあるがままに受け入れるべき必要性に気づかされる側面をもち,いわば二律背反の中で,いかに豊かな生を育むことができるかが,私たち医療に携わる者の目指すべきゴールなのだ。一昔前は,生まれてくる以前の母体の中の様子はブラックボックスの内部であり,新生児がどのような状態で生まれてくるかについては,知る由もなかった。しかし私たちは今,胎児の様子について画像で確認する手段をもち,生化学的なあるいは生理学的な評価を行い,内視鏡を用いて観察し,場合によっては生まれる前から何らかの手を下すことも可能になった。遺伝学の発展は,胎児が形作られる過程を解明し,その途中段階だけではなく,前段階からの判断や選択も可能になっている。そして今や遺伝子の改変に手をつけることも可能になろうという時代になり,人類は神の領域に手を伸ばしているともいえる段階に達した。こういった時代の急激な流れの中で,私たち医療者の果たすべき役割は多様化し,新たな情報に常に接し知識を更新し続けると同時に,新たな技術や知見の社会へのインパクトや受け取る側の多様性への理解といった,これまでの臨床現場では必ずしも目を向けられていなかった分野への対応や技術の習得が必要とされる時代に変化している。そんな中にありながら,特に出生前検査・診断の分野は,残念なことにわが国においては諸外国で普通に行われている検査が普及せず,国際的にみて特異な状況に陥っているものの,未だ有効な打開策が見出せない現状にある。本書は,これからこの分野の学習を行い技術を習得しようとする医療者が,その歴史的変遷から諸外国の状況を知り,広い視野をもって特異な国内事情からの脱却を図れるようになるための入門書として企画されたものである。妊婦に接するすべての医療者に本書を手にとっていただき,わが国における出生前検査・診断に関する情報提供が偏りなく行き渡り,すべての妊婦・家族が検査に関連して自律的な選択を行うことができるようになることを願っている。 中村 靖iiiはじめにはじめに
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