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でいる研究を、医師が自ら社会まで届けようという認識がなかったことは明らかです。 そこにあったのは「研究の成果を出すところまでは医師の仕事。そこから先はほかの人たちの仕事」という意識です。つまり、コマーシャリゼーションは医師の仕事ではない、医師には関係ないと考えていたのです。 2018年にノーベル医学生理学賞を受賞した京都大学の本庶佑先生は、オプジーボ®を開発するときに、小野薬品工業にコマーシャリゼーションを頼みました。たまたま製品化までたどり着きましたが、普通は頼んでもやってくれません。開発費が膨大にかかるにもかかわらず、うまくいくかどうかわからないリスクがあるからです。結局、小野薬品工業はリスクヘッジのためそれをまた外注に出しています。 当時はまだ、リスクマネーで開発する方法が成熟していません。そのため、製薬会社がリスクを抱えて開発せざるを得ませんでした。そうすると、たとえば1/100の確率で成功する開発だったとして、それが2回、3回続けて失敗したら、企業は潰れてしまいます。だから、製薬会社が創薬を引き受けることはほとんどありませんでした。医師が「この研究論文を開発につなげてください」と言っても、ほとんどが断られていました。36学校教育法に書かれた「社会の発展に寄与」の文字 そうした背景があったこともあり、昭和22年(1947年)3月31日に施行された学校教育法を、平成19年(2007年)6月26日に文部科学省が改正しました。平成16年(2004年)に国立大学が独立行政法人になった3年後のことです。研究が医薬品や医療機器になると思えるようなデータを揃えるのは、研究開発者の責任だというところに踏み込んだのです。 次に、その根拠となる「第九章 大学」の冒頭に書かれた「第八十三条」を転記します。

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