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また来たくなる外来
Dr. 國松Presents!患者さんを惹きつける、とっておきの初診メソッド
本書はズバリ「外来診療に自信がない人」のための本です。医師としての経験値は問いません。初期研修医からベテランドクターまで、とにかく初診の患者さんの対応に自信がない人、外来が苦手な人を対象にします。患者さんはもちろん、そもそも人と話すのが苦手な人、少し難しい患者になると面倒臭くなってしまう人、すぐにイライラしてしまう人。とりわけコミュニケーション的なことに、やる気がない「意識が低い」方に捧げます。
必要なことは外来診療のもたらす「結果」の向上です。そして本書が目指す究極のアウトカムは「患者さんにまた来たい思わせることができるか」のただひとつです。「また来たくなる外来」をつくるためには、「こういうときは、こうせよ」的なマニュアル指南では決してうまくいきません。みなさんの「考えかた」そのものをひっくり返す意識改革をせねばなりません。
もうハッキリ言ってしまいましょう。この本は医学書であって、しかも自己啓発本なのです!
【鬼才、國松淳和の新刊・好評書が一堂に会する「國祭り!」特設サイトはこちら!】
必要なことは外来診療のもたらす「結果」の向上です。そして本書が目指す究極のアウトカムは「患者さんにまた来たい思わせることができるか」のただひとつです。「また来たくなる外来」をつくるためには、「こういうときは、こうせよ」的なマニュアル指南では決してうまくいきません。みなさんの「考えかた」そのものをひっくり返す意識改革をせねばなりません。
もうハッキリ言ってしまいましょう。この本は医学書であって、しかも自己啓発本なのです!
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CHAPTER1 今日も外来が憂うつな医師たちへ
1. さぁ、外来診療について語ろう
・外来診療が苦手な医師たちへ
・外来診療は、教えられない
・結局何が足りないのか?
・この本の目指すもの「また来たくなる外来」
・「また来たくなる外来」を目指す理由:その意義を示す一例
・ではどうすればいいのか? 〜外来診療用の『意識改革』を〜
2. なぜ「また来たほうがいい」のか
・たぶん、すべての患者さんが「また来たほうがいい」
・外来診療における「時間学」
・外来診察における「患者―時間圧」
・うまくいかない理由
・外来診療の「時間学」からみた、最適な時短術の原則
・重要なのは、受診の間隔
3. まったく自信がない人へ
・今までの外来診療は、全部間違い
・医師のモチベーション
・患者さんと向き合ってはいけない
・患者ではなく、自分のことを常に考えよ
・さあ、外来どうする
・「北風と太陽」の太陽作戦
・挨拶という有能すぎるキラーワード
・罪悪感を持つべき理由はない
・患者は、宇宙人であると考える
・外来診察序盤のコツ
・初診の序盤に好感を持ってもらうために
4. 患者との適切な距離感をいつも考える
・あなたが苛立つ理由
・患者さんとの距離感の重要性
・患者さんとの距離と、診療の成否との関係
・患者さんとの「距離感調整」の基本的な考えかた
・向き合うな、同じ方向を見ろ
・やはり怒ってはダメ
5. 医師側の心がまえ
・外来をやるとくたびれる理由
・外来は舞台と思え! 医者は俳優
・舞台から降り、楽屋や会場外ではもう普通の人でいい
・舞台に上がる前の衣装チェック
・「患者さんに親切にする」という劇を演じる感覚
6. 患者さんを呼び出す直前の準備
・さあ、患者さんを呼び出そう
・外来診療における不安
・研修医がいきなり外来?
・研修医の外来は、どうだったか
・研修医が、外来をやれてしまうわけ
・外来が不安な「自分」をどう考えるか
・外来直前に「してはいけない」こと〜不安のメカニズム〜
・初診外来の診察直前の不安な気持ちに、どう対応するか
CHAPTER2 病歴聴取が苦手なあなたへ
7. 患者さんを呼び出したら
・丁寧な挨拶と言葉づかいの重要性
・序盤戦の言葉選び
・付き添い者への最大限の配慮
・付き添い者をどう変えるか
・怒る患者
・お待たせした場合の奇策
・苦手な人はとにかく「労い」から
・無理に目を合わせる必要はない
8. 患者さんの望んでいることを知る
・患者さんは、何しに来たの?
・患者さんは「良い子」になろうとする
・やはり語らせる
・「病歴聴取はアート」にさせないために
・探り合いではないけれど
・プロファイリングしてみよう
・患者さんの望んでいることを知るために
9. 國松流・病歴聴取の技法 〜起〜
・病歴は、医者が完成させるもの
・ダメな病歴聴取 その一
・ダメな病歴聴取 その二
・ダメな病歴聴取 その三
・ダメな病歴聴取 その四
・病歴聴取における、医師の恣意性とは
10. 國松流・病歴聴取の技法 〜承〜
・病歴をつくるには
・仮説なしに、展開できない
・ギャンブラーの気持ち
・初診外来の病歴聴取とギャンブルの類似性
11. 國松流・病歴聴取の技法 〜転〜
・そして、話がはじまった
・患者は師匠、医者は弟子
・相槌、合いの手
・オープンエンド・クエスチョンの裏
・発想の転換から
・パターン別対策 〜やはり話が途切れない人〜
・話の切り上げかたの具体的実践
・話を、こちらが逸らす
・雑談を入れる? 入れない?
12. 國松流・病歴聴取の技法 〜結〜
・締めに向かう
・外来診療の目標
・治療を先に考えて問診?
・この後何をするか一つ決めるだけでいい
・最難関の『仮説生成』をどうする
・能動的な病歴聴取
・病歴聴取に、うんざりしないで
CHAPTER3 治療という「施し」を考えよう
13. 仮説の立てかた
・臨床推論のどこに問題があるのか
・仮説の立てかたは教えられるか
・仮説生成のトレーニング その一
・仮説生成のトレーニング その二
・診断推論で最も大事なプロセス
14. 検査という道具の使いかた
・外来診療における検査という道具
・「検査」の効能
・「検査」は患者さんとの距離を適正化するための道具
・検査の効能の正体
・「身体診察」の効能
・治療としての検査、検査としての身体診察
・いざ、検査室に行ってもらう
・豊富な選択肢の一つとしての検査
15. いつも心に「施し」を
・診療の主役は治療
・「適切な診断があってはじめて正しい治療が決められる」は正しいか
・診断の一部は仮説に基づいている
・うなぎの掴みどりは、うなぎがすり抜けることを前提にしている
・診断にこだわりすぎてはダメ
・「施し」とは
・いつも心に「施し」を
16. 対症療法をしよう<準備編>
・対症療法、してますか?
・対症療法を考えることは、外来診療を考えることなり。
・「症状観」と「薬剤観」
・症状観
・薬剤観
・薬剤観を持つ医師の視座
・対症療法をしよう
17. 対症療法をしよう<実践編> 〜対症療法のための症候学〜
・対症療法のための症候学
・一続きの思考
・治療が対症療法となる疾患たち
・片頭痛
・ノロウイルス感染症
・良性発作性頭位めまい症(BPPV)
・全身の疼痛(疼痛性障害)
・「対症療法のための症候学」という旅
CHAPTER4 「また来たい」と言われたい
18. またあの先生のところに行こうと思ってもらうために
・「普通の」医者はしない配慮をしよう
・医療費のこと、お金のこと
・マジックフレーズ「何か聞いておきたいことはありますか?」
・「笑い」はあるほうがいい
・やっぱり「患者教育」
・阻むのは、「定量障害」と「評価障害」
・症状は外からやってくるのではないということ
・好かれるか、親切にするか、結果を出すか
Fin. 外来診療の名残
・終わりは必ずくる
・喧嘩別れはNG
・患者さんが立ち上がった後も情報収集のチャンス
・心地よい余韻と名残を残すために
・治療の終結のしかた「もう来なくていい外来」
・主体性は医師にも
・外来診療の適性
・診断の話
・自分の臨床哲学を持とう
1. さぁ、外来診療について語ろう
・外来診療が苦手な医師たちへ
・外来診療は、教えられない
・結局何が足りないのか?
・この本の目指すもの「また来たくなる外来」
・「また来たくなる外来」を目指す理由:その意義を示す一例
・ではどうすればいいのか? 〜外来診療用の『意識改革』を〜
2. なぜ「また来たほうがいい」のか
・たぶん、すべての患者さんが「また来たほうがいい」
・外来診療における「時間学」
・外来診察における「患者―時間圧」
・うまくいかない理由
・外来診療の「時間学」からみた、最適な時短術の原則
・重要なのは、受診の間隔
3. まったく自信がない人へ
・今までの外来診療は、全部間違い
・医師のモチベーション
・患者さんと向き合ってはいけない
・患者ではなく、自分のことを常に考えよ
・さあ、外来どうする
・「北風と太陽」の太陽作戦
・挨拶という有能すぎるキラーワード
・罪悪感を持つべき理由はない
・患者は、宇宙人であると考える
・外来診察序盤のコツ
・初診の序盤に好感を持ってもらうために
4. 患者との適切な距離感をいつも考える
・あなたが苛立つ理由
・患者さんとの距離感の重要性
・患者さんとの距離と、診療の成否との関係
・患者さんとの「距離感調整」の基本的な考えかた
・向き合うな、同じ方向を見ろ
・やはり怒ってはダメ
5. 医師側の心がまえ
・外来をやるとくたびれる理由
・外来は舞台と思え! 医者は俳優
・舞台から降り、楽屋や会場外ではもう普通の人でいい
・舞台に上がる前の衣装チェック
・「患者さんに親切にする」という劇を演じる感覚
6. 患者さんを呼び出す直前の準備
・さあ、患者さんを呼び出そう
・外来診療における不安
・研修医がいきなり外来?
・研修医の外来は、どうだったか
・研修医が、外来をやれてしまうわけ
・外来が不安な「自分」をどう考えるか
・外来直前に「してはいけない」こと〜不安のメカニズム〜
・初診外来の診察直前の不安な気持ちに、どう対応するか
CHAPTER2 病歴聴取が苦手なあなたへ
7. 患者さんを呼び出したら
・丁寧な挨拶と言葉づかいの重要性
・序盤戦の言葉選び
・付き添い者への最大限の配慮
・付き添い者をどう変えるか
・怒る患者
・お待たせした場合の奇策
・苦手な人はとにかく「労い」から
・無理に目を合わせる必要はない
8. 患者さんの望んでいることを知る
・患者さんは、何しに来たの?
・患者さんは「良い子」になろうとする
・やはり語らせる
・「病歴聴取はアート」にさせないために
・探り合いではないけれど
・プロファイリングしてみよう
・患者さんの望んでいることを知るために
9. 國松流・病歴聴取の技法 〜起〜
・病歴は、医者が完成させるもの
・ダメな病歴聴取 その一
・ダメな病歴聴取 その二
・ダメな病歴聴取 その三
・ダメな病歴聴取 その四
・病歴聴取における、医師の恣意性とは
10. 國松流・病歴聴取の技法 〜承〜
・病歴をつくるには
・仮説なしに、展開できない
・ギャンブラーの気持ち
・初診外来の病歴聴取とギャンブルの類似性
11. 國松流・病歴聴取の技法 〜転〜
・そして、話がはじまった
・患者は師匠、医者は弟子
・相槌、合いの手
・オープンエンド・クエスチョンの裏
・発想の転換から
・パターン別対策 〜やはり話が途切れない人〜
・話の切り上げかたの具体的実践
・話を、こちらが逸らす
・雑談を入れる? 入れない?
12. 國松流・病歴聴取の技法 〜結〜
・締めに向かう
・外来診療の目標
・治療を先に考えて問診?
・この後何をするか一つ決めるだけでいい
・最難関の『仮説生成』をどうする
・能動的な病歴聴取
・病歴聴取に、うんざりしないで
CHAPTER3 治療という「施し」を考えよう
13. 仮説の立てかた
・臨床推論のどこに問題があるのか
・仮説の立てかたは教えられるか
・仮説生成のトレーニング その一
・仮説生成のトレーニング その二
・診断推論で最も大事なプロセス
14. 検査という道具の使いかた
・外来診療における検査という道具
・「検査」の効能
・「検査」は患者さんとの距離を適正化するための道具
・検査の効能の正体
・「身体診察」の効能
・治療としての検査、検査としての身体診察
・いざ、検査室に行ってもらう
・豊富な選択肢の一つとしての検査
15. いつも心に「施し」を
・診療の主役は治療
・「適切な診断があってはじめて正しい治療が決められる」は正しいか
・診断の一部は仮説に基づいている
・うなぎの掴みどりは、うなぎがすり抜けることを前提にしている
・診断にこだわりすぎてはダメ
・「施し」とは
・いつも心に「施し」を
16. 対症療法をしよう<準備編>
・対症療法、してますか?
・対症療法を考えることは、外来診療を考えることなり。
・「症状観」と「薬剤観」
・症状観
・薬剤観
・薬剤観を持つ医師の視座
・対症療法をしよう
17. 対症療法をしよう<実践編> 〜対症療法のための症候学〜
・対症療法のための症候学
・一続きの思考
・治療が対症療法となる疾患たち
・片頭痛
・ノロウイルス感染症
・良性発作性頭位めまい症(BPPV)
・全身の疼痛(疼痛性障害)
・「対症療法のための症候学」という旅
CHAPTER4 「また来たい」と言われたい
18. またあの先生のところに行こうと思ってもらうために
・「普通の」医者はしない配慮をしよう
・医療費のこと、お金のこと
・マジックフレーズ「何か聞いておきたいことはありますか?」
・「笑い」はあるほうがいい
・やっぱり「患者教育」
・阻むのは、「定量障害」と「評価障害」
・症状は外からやってくるのではないということ
・好かれるか、親切にするか、結果を出すか
Fin. 外来診療の名残
・終わりは必ずくる
・喧嘩別れはNG
・患者さんが立ち上がった後も情報収集のチャンス
・心地よい余韻と名残を残すために
・治療の終結のしかた「もう来なくていい外来」
・主体性は医師にも
・外来診療の適性
・診断の話
・自分の臨床哲学を持とう
はじめに
みなさんこんにちは。私は國松淳和と申します。他の医師よりも少し、多く本を書いている内科医です。そのわりに、意外と自分のことを本で話す機会は多くないなと気づいたので、ここでは「本の紹介」や「執筆にかけた情熱」や「周りのすべての人に感謝」みたいなものではなく、「私のこと」をまずは書こうと思います。
正直、私はこんなにたくさんの本を書くことになるとは思いませんでした。というのも、特に国語の成績がよかったわけでもないですし、弁が立つわけでもないですし、本は好きでよく読んでいましたが、生まれつき足が早く運動神経がよく、どちらかというと体育会系で、文学少年のイメージとは程遠い子供時代を過ごしていました。医学部医学科に入るためには通常、高校時代にそれなりに勉強する必要がありますが、凝ってやったなあというのは数学の難しい問題を解くことくらいでした。家庭は特に文学に染まってはいなかったですし、身内に物書きはいません。私が文章をいろいろと書くようになったことについて、私のルーツを掘り下げても、特に興味深いことは出てこないと思います。両親や兄弟、かつての恩師などに聞いても、私が本を執筆するなどというイメージは到底わかなかったでしょう。
まず私は、世の中に「正しいこと」を広く啓発する気概も意図も指向もありません。これは、厨二病的に言っているのではなく本当にそうです。これに大きな理由はありませんが、「正しいこと」というのは、いつも相対的で曖昧だなあと昔から考えていたというのはあります。個人的に重要なので念を押しますが、私が本を書くのは「正しいこと」を広めたいからではなく、「自分の考え」を伝えたいからです。自分の考えが全部正しいと思っているわけではありませんが、このあたりのことはすごく重要だと思っています。
次に私の日々のことです。私はこうした執筆を中心にして、生活しているわけではありません。未来のことは誰もわかりませんが、私は「作家」と名乗ることは今後もないと思います。臨床医です。専門は内科学です。詳しい専門領域は、熱が出る病気と公表はしていますが、実際にはもっと何でも診ています。
月曜日から金曜日まで、水曜日以外は現在勤務している病院で毎日外来診療をしています。水曜日は、愛知県の田舎で家庭医のようなことをしていますが、やはり外来をしています。田舎といえども侮れませんよ? ツツガ虫病やめずらしい自己免疫疾患などにも、たまに出会います。水曜日以外の平日は、現在の勤務地で八王子市の人たちに一般内科医として外来診療をしています。今は患者さんが増えてきて、新規の初診は(遠方の患者やセカンドオピニオンも含め)紹介で受けることがやや多いですが、基本は八王子市の地域医療です。2005年から2018年までは、東京都新宿区の国立国際医療研究センターに在籍していました。特に2011年からは総合診療科に移り、研修医たちを率いて外来診療を支援・実践する機会を得ました。非常に貴重な経験でした。
私よりも、もっと修羅場のような外来を勤め上げてきた方も当然いらっしゃると思いますが、このように私もそれなりの臨床はやっていまして、いろいろな場で多角的に自他の外来診療を見つめてきました。
今回ここに上梓する「また来たくなる外来」は、そういう経験知を結集したものです。
……あ、今とてもかっこよく言いましたがちょっと違いますね。そんな綺麗な話ではなく、外来診療をうまくやるということを書籍で伝えるために、どうするのが一番よいかをまず考えたのでした。しかし、私の中にある、ある種の臨床知を一通り列挙してみても、読み手の外来診療はただちに上手くならないのでは、という懸念がありました。なぜなら、それでは単に知識の「授与」という形になってしまい、主体性が不在となるからです。
みなさんの明日からの外来診療を「変える」にはどうしたらよいか考えたときに思いついたのが、『自己啓発本』という表現形式でした。読み手からみて、外から知識を得る・入れるのではなく、内側から変化を促す。「言うは易し」ですが、今回はこんなようなことを試みました。もしこの本を話題にしてくださるギョーカイ人あるいは書店員さんがいるのでしたら、こう紹介してください。「これは【医学書×自己啓発本】です!」と。
こんな医学書らしからぬ企画を成立させようとする医学出版社の編集者といえば、金原出版の中立稔生さんくらいしかいないですし、本当に成立させてしまうのは金原出版くらいしかないのかもしれません。特に中立さんは、私のマネージャー的な業務まで追加賃金なしにやってくださっていて、そのうち訴訟を起こされるのではと怖れていますが、日頃の感謝をここに申し上げておきます。こういう近しい人への感謝が、巡り巡って結果的に多くの人へのお役立ちに繋がるのだとしたら、そんなお得な話はありませんよね。
2020年4月吉日
医療法人社団永生会南多摩病院 総合内科・膠原病内科
國松淳和
みなさんこんにちは。私は國松淳和と申します。他の医師よりも少し、多く本を書いている内科医です。そのわりに、意外と自分のことを本で話す機会は多くないなと気づいたので、ここでは「本の紹介」や「執筆にかけた情熱」や「周りのすべての人に感謝」みたいなものではなく、「私のこと」をまずは書こうと思います。
正直、私はこんなにたくさんの本を書くことになるとは思いませんでした。というのも、特に国語の成績がよかったわけでもないですし、弁が立つわけでもないですし、本は好きでよく読んでいましたが、生まれつき足が早く運動神経がよく、どちらかというと体育会系で、文学少年のイメージとは程遠い子供時代を過ごしていました。医学部医学科に入るためには通常、高校時代にそれなりに勉強する必要がありますが、凝ってやったなあというのは数学の難しい問題を解くことくらいでした。家庭は特に文学に染まってはいなかったですし、身内に物書きはいません。私が文章をいろいろと書くようになったことについて、私のルーツを掘り下げても、特に興味深いことは出てこないと思います。両親や兄弟、かつての恩師などに聞いても、私が本を執筆するなどというイメージは到底わかなかったでしょう。
まず私は、世の中に「正しいこと」を広く啓発する気概も意図も指向もありません。これは、厨二病的に言っているのではなく本当にそうです。これに大きな理由はありませんが、「正しいこと」というのは、いつも相対的で曖昧だなあと昔から考えていたというのはあります。個人的に重要なので念を押しますが、私が本を書くのは「正しいこと」を広めたいからではなく、「自分の考え」を伝えたいからです。自分の考えが全部正しいと思っているわけではありませんが、このあたりのことはすごく重要だと思っています。
次に私の日々のことです。私はこうした執筆を中心にして、生活しているわけではありません。未来のことは誰もわかりませんが、私は「作家」と名乗ることは今後もないと思います。臨床医です。専門は内科学です。詳しい専門領域は、熱が出る病気と公表はしていますが、実際にはもっと何でも診ています。
月曜日から金曜日まで、水曜日以外は現在勤務している病院で毎日外来診療をしています。水曜日は、愛知県の田舎で家庭医のようなことをしていますが、やはり外来をしています。田舎といえども侮れませんよ? ツツガ虫病やめずらしい自己免疫疾患などにも、たまに出会います。水曜日以外の平日は、現在の勤務地で八王子市の人たちに一般内科医として外来診療をしています。今は患者さんが増えてきて、新規の初診は(遠方の患者やセカンドオピニオンも含め)紹介で受けることがやや多いですが、基本は八王子市の地域医療です。2005年から2018年までは、東京都新宿区の国立国際医療研究センターに在籍していました。特に2011年からは総合診療科に移り、研修医たちを率いて外来診療を支援・実践する機会を得ました。非常に貴重な経験でした。
私よりも、もっと修羅場のような外来を勤め上げてきた方も当然いらっしゃると思いますが、このように私もそれなりの臨床はやっていまして、いろいろな場で多角的に自他の外来診療を見つめてきました。
今回ここに上梓する「また来たくなる外来」は、そういう経験知を結集したものです。
……あ、今とてもかっこよく言いましたがちょっと違いますね。そんな綺麗な話ではなく、外来診療をうまくやるということを書籍で伝えるために、どうするのが一番よいかをまず考えたのでした。しかし、私の中にある、ある種の臨床知を一通り列挙してみても、読み手の外来診療はただちに上手くならないのでは、という懸念がありました。なぜなら、それでは単に知識の「授与」という形になってしまい、主体性が不在となるからです。
みなさんの明日からの外来診療を「変える」にはどうしたらよいか考えたときに思いついたのが、『自己啓発本』という表現形式でした。読み手からみて、外から知識を得る・入れるのではなく、内側から変化を促す。「言うは易し」ですが、今回はこんなようなことを試みました。もしこの本を話題にしてくださるギョーカイ人あるいは書店員さんがいるのでしたら、こう紹介してください。「これは【医学書×自己啓発本】です!」と。
こんな医学書らしからぬ企画を成立させようとする医学出版社の編集者といえば、金原出版の中立稔生さんくらいしかいないですし、本当に成立させてしまうのは金原出版くらいしかないのかもしれません。特に中立さんは、私のマネージャー的な業務まで追加賃金なしにやってくださっていて、そのうち訴訟を起こされるのではと怖れていますが、日頃の感謝をここに申し上げておきます。こういう近しい人への感謝が、巡り巡って結果的に多くの人へのお役立ちに繋がるのだとしたら、そんなお得な話はありませんよね。
2020年4月吉日
医療法人社団永生会南多摩病院 総合内科・膠原病内科
國松淳和
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